金 炳始(キム ビョンシ、きん へいし、朝: 김병시 道光12年10月3日(1832年11月24日) - 光武2年7月26日(1898年9月16日))は李氏朝鮮末期の文臣。本貫は安東金氏。号は蓉庵、諡号は忠文。朋党政治においては老論派に属した。
略年表
金炳始と関連のある年表を示す。
- 1854年 - 文科に合格
- 1860年 - 弘文館校理
- 1869年 - 従二品に昇進
- 1870年 - 忠清道観察使
- 1875年 - 正二品に昇進
- 1878年 - 知三軍府事
- 1879年 - 奎章閣提学、戸曹判書
- 1882年
- 7月23日 - 壬午事変(朝鮮事変)発生 日本人軍事顧問 日本公使館員らが殺害され、日本公使館が襲撃を受ける
- 1884年
- 7月 - 統理軍国衙門督弁利用軍国事務として事後処理と各国との交渉を行なう。
- 7月7日 - ソウルにて全権大使(督弁利用軍国事務)として露朝修好通商条約をヴェーベル (Waeber,K. I.) と結ぶ
- 11月 - 右議政に就任
- 1885年
- 1月 - 壬午事変の朝鮮政府側 調査委員となる。
- 1888年
- 8月 - 左議政に就任
- 1894年 - 東学党 農民軍の蜂起
- 6月20日 - 領議政に就任(同月24日に辞任)
- 1895年
- 8月20日 - 明成皇后殺害事件
- 1896年
- 1月7日 - 特進官金炳始疏略
- 2月 - 露館播遷
- 内閣総理大臣(2月11日 - 4月22日)
- 9月24日 - 議政府議政(翌年1月10日まで)
- 1897年
- 2月19日 - 議政府議政(同年4月18日まで)
- 10月12日 - 大韓帝国と国名改称 議政府議政
- 1898年
- 7月21日 - 議政府議政(同年8月12日まで)
脚注
参考文献
- 「アジア人物史 9」 集英社 2024年




