ショムヨーイ=バートリ・アンナ (マジャル語: Somlyói Báthory Anna,? - 1570年頃没 )は、ハンガリー貴族、ソムリヨ(ハンガリー語版)系バートリ家の生まれでトランシルバニア候(ヴォイヴォダ)ショムヨーイ=バートリ・イシュトヴァーン8世(ハンガリー語版)とテレグディ・カタリンの娘。ポーランド王となったショムヨーイ=バートリ・イシュトヴァーン9世(ステファン・バートリ)の姉妹に当たる。
生涯
アンナは生涯の中で3回結婚した。
初婚でサトマール(現ルーマニア領サトゥ・マーレ)のアルドゥド州長官ベルテキ=ドラーグッフィ・ガスパルと1539年9月16日結婚した。
アンナはガスパルとの間に2男をもうけた。
- ジェルジ(1543年2月24日 - 1555年10月10日以前)
- ヤーノシュ(1544年5月6日 - 1557年1月11日以前)
ガスパルとは1545年1月25日に病により死別した。
2男の遺児は亡夫の遺言により、君主フェルディナーンド5世の援助を受ける。しかし、2人の息子は双方10代前半で夭折した。
最初の夫との死別後、アンナは2人目の夫ホモンナイ(現スロバキア、プレショウ県)=ドルゲト・アンタルと再婚した。2度目の結婚は、夫アンタルが1548年に病死するまで続き、1男1女をもうけた。
- ミクローシュ - 1575年の生存記録が存在する。
- ボルバーラ - マルトン・ケチェティ1世と結婚し、死別後にケンディ・フェレンツと再婚。
アンタルとの死別後、アンナの外戚エチェド(ハンガリー語版)系バートリ家 のエチェディ=バートリ・ジェルジと3度目の結婚をした。この結婚では4子をもうけた。
- イシュトヴァーン - 審判員。
- エルジェーベト - ナーダシュディ・フェレンツ2世の妻、「チャフティツェの血の伯爵夫人」と呼ばれる。
- ゾフィア - フィジェティ・アンドラーシュの妻。
- クララ - ヴァルダイ・ミハーイの妻。
アンナと3人目の夫ジェルジはカルヴァン主義に改宗し、夫婦共に自らを宗教改革の堅固な支持者であるとしていた。
脚注
参考文献
- Derwich M. (red.), Polska. Dzieje cywilizacji i narodu. Monarchia Jagiellonów 1399-1586, Wydawnictwo Dolnośląskie, Warszawa – Wrocław 2003, ISBN 83-7384-018-4, s. 227.
- Horn I., Andrzej Batory, S. Brzeziński (tłum.), Warszawa: Wydawnictwo Neriton, 2010, s. 24, 26,ISBN 978-83-7543-163-6, OCLC 750793621.


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