ガリレオ・ガリレイ (Galileo Galilei) は、イタリア海軍の潜水艦。アルキメーデ級。
艦歴
1931年10月15日起工。1934年3月19日進水。同年10月16日竣工。
スペイン内戦に参加。その後紅海に配備される。
イタリアが第二次世界大戦に参戦した1940年6月10日に「ガリレオ・ガリレイ」は出撃し、10月16日にバブ・エル・マンデブ海峡を通過。同日、オマーン湾でノルウェーのタンカー「ジェームス・ストーブ (James Stove) 」(8215トン)を停船させ、乗組員の退船後に魚雷で沈めた。
6月18日、ユーゴスラビアの貨物船「ドラバ (Drava) 」を臨検。次いで16時ごろイギリス軍機と交戦した。19時30分、イギリスのスループ「ショアハム」が「ガリレオ・ガリレイ」を発見。爆雷攻撃を実施後、追跡をトローラー「ムーンストーン」に引き継いだ。6月19日2時30分に「ガリレオ・ガリレイ」は浮上したが、この時エアコンが壊れており、中毒患者が出ていた。エアコンには有毒なクロロメタンが使用されていた。
6月19日11時37分、「ムーンストーン」はASDICで「ガリレオ・ガリレイ」を捉えた。「ムーンストーン」は爆雷を投下。一方、「ガリレオ・ガリレイ」の艦長Nardiは潜望鏡で見て敵艦の武装は弱いと確信。「ガリレオ・ガリレイ」は浮上し砲戦を挑んだ。当時のイタリア潜水艦長は艦の搭載砲と水上速力を信頼しており、水上戦も厭わなかった。しかし、荒れた海などのため「ガリレオ・ガリレイ」の砲撃が正確さを欠く一方、「ムーンストーン」の砲撃は「ガリレオ・ガリレイ」の艦橋に続けて命中。「ガリレオ・ガリレイ」では艦長以下士官がほぼ全員死亡した。誰かがエンジンを止めると、イタリア人たちは白旗を振って艦から出てきた。おそらく、彼らはクロロメタン中毒になっていた。この戦闘でのイタリア側の死者は16名であった。
イギリス人は「ガリレオ・ガリレイ」のエンジンを始動させ、駆逐艦「カンダハー」が曳航してアデンへ持っていった。
イタリア側はコードブックが敵の手に渡ったものと判断して暗号を変更したが、実際にイギリス側が入手したのはコードブックではなく作戦命令書であり、その情報を元にイタリア潜水艦「ルイジ・ガルヴァニ」を沈めた。
1942年に「ガリレオ・ガリレイ」はイギリス海軍の潜水艦「X2」となる。1946年1月1日に除籍後、解体処分された。
脚注
参考文献
- Marek Sobski, "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", Naval Archives Vol.10, KAGERO Publishing, 2019, ISBN 978-83-66148-00-0, pp. 20-49
- Christopher Langtree, The Kelly's: British J, K and N Class Destroyers of World War II, Naval Institute Press, 2002, ISBN 1-55750-422-9
- Vincent P. O'Hara, Enrico Cernuschi, "Red Sea Naval War"
参考図書
- 「世界の艦船増刊第20集 第2次大戦のイタリア軍艦」(海人社)




