貞子女王(ていしじょおう、1750年4月3日(寛延3年2月27日) - 1820年9月28日(文政3年8月22日))は、江戸時代中期の女性。清水徳川家初代当主・徳川重好の正室。院号は貞章院(ていしょういん)。

生涯

伏見宮貞建親王の第6王女として生まれる。幼称は田鶴宮。1763年(宝暦13年)、清水徳川家初代当主の徳川重好の正室となった。1795年(寛政7年)重好の死後、仏門に入って貞章院と号した。

1820年(文政3年)、死去。諡号は貞章院心月妙観大姉。

脚注


770年称徳天皇が崩御。独身の女帝に後継者はなく、度重なる政変による粛清で天武天皇の嫡流(男系)にあたる皇族がいなくなっていた。しかし妃の井上

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