オースミハルカ(欧字名:Osumi Haruka、2000年4月2日 - )は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に2003年のチューリップ賞、クイーンステークス、2004年のクイーンステークス、府中牝馬ステークス。主戦騎手は川島信二。
半弟に、新潟大賞典2勝のオースミグラスワン(父グラスワンダー)がいる。
競走馬時代
2002年、札幌の新馬戦でデビュー。2年目の若手騎手・川島信二を背に優勝した後、クローバー賞、すずらん賞とオープン特別を連続して3着。秋になって500万下条件戦を勝利して2勝目を挙げると、オリビエ・ペリエを鞍上にGI阪神ジュベナイルフィリーズに出走し、3番人気に支持されたが7着に敗れた。
2003年はチューリップ賞から始動。中団よりやや前で競馬を進め、後の牝馬三冠馬・スティルインラブ、シーイズトウショウらを抑えて勝利する。しかしその後の桜花賞では6着、5戦振りに川島が騎乗した優駿牝馬(オークス)では10着と敗れた。その後クイーンステークスに出走。7番人気と低評価であったが、ファインモーション、テイエムオーシャンといったGI馬を向こうに初の逃げ戦法を取り、ファインモーションの追走をクビ差凌いで重賞2勝目を挙げた。秋はそのまま秋華賞に向かったが6着、続いて出走したエリザベス女王杯ではレース中に右前脚を骨折し、長期休養を余儀なくされた。
翌2004年6月、愛知杯で復帰したが最下位の18着と惨敗。しかし続く米子ステークスを2着と逃げ粘り復調の兆しを見せると、前年制したクイーンステークスに出走して逃げ切り勝ちを収め、同レース2連覇を果たした。続く府中牝馬ステークスも勝利し2連勝。有力馬の1頭としてエリザベス女王杯に再挑戦した。レースでは2番手から抜け出して粘ったが、ゴール寸前でアドマイヤグルーヴにかわされて2着となった。その後出走した阪神牝馬ステークスでは、1番人気に推されたが9着に敗れる。
5歳になり春秋1走ずつを使って3度出走したエリザベス女王杯では、観衆からどよめきが起こるほど後続を大きく離しての逃げを打ち、10馬身近いリードを保って直線に向いたが、勝利したかと思われた瞬間、今度はスイープトウショウにまたしてもゴール寸前で差し切られ、2年連続の2着となった。年末は有馬記念に出走し15着。翌年も現役を続行し、引退レースとしてヴィクトリアマイルを目標に調整されていたが、前哨戦の京都牝馬ステークスで8着に敗れ、予定を変更してこの競走を最後に競走馬を引退、繁殖入りとなった。
全22戦中17戦で手綱を取り、3つの重賞を手にした川島はオースミハルカを「ハルちゃん」と呼び、「お姫様のようです」と溺愛していた。
競走成績
以下の内容は、JBISサーチおよびnetkeiba.comに基づく。
繁殖牝馬時代
引退後は生まれ故郷の鮫川啓一牧場に戻り、繁殖生活に入った。2007年に父スペシャルウィークの牝駒(オースミアザレア)が誕生し、2009年11月14日に栗東・荒川義之厩舎からデビューしたが中央では未勝利であり、2010年に岩手競馬へと移籍した。2008年にディープインパクトとの間に生まれたナリタキングロード(荒川義之厩舎、牡)が2010年11月27日にデビューし新馬戦を勝ち上がり、母として産駒初の中央での勝利となった。2012年の兵庫チャンピオンシップでオースミイチバン(父アグネスタキオン)が優勝し、産駒初の重賞制覇を果たした。2021年に父レイデオロの仔の出産を最後に繁殖牝馬を引退し、母ホッコーオウカが暮らす厩舎に移動して余生を過ごしている。 2022年から引退名馬繋養展示事業の対象馬となっている。
繁殖成績
- 情報は、2024年10月8日現在。
血統表
フサイチコンコルド産駒のうち、数少ない牝馬の活躍馬である。曾祖母トサモアーは1955年の阪神3歳ステークスの優勝馬で、繁殖牝馬としても優秀だった。オースミハルカの近親には宝塚記念優勝馬スズカコバンや、天皇賞(春)優勝馬リキエイカンなどの活躍馬がいる。
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- オースミハルカ - 競走馬のふるさと案内所
- オースミハルカ - 引退名馬(名馬.jp)
- 鮫川啓一牧場


