柳田 春人(やなぎだ はるひと、1950年10月21日 - )は、埼玉県深谷市出身の元レーシングドライバーである。自動車チューニングショップ『セントラル20』の創業者。

実子は同じくレーシングドライバーの柳田真孝。

略歴

日産・フェアレディZでレースに出場し活躍したことから「Z遣いの柳田」と呼ばれた。また、どしゃ降りの中でも勝利をもぎ取る姿から「雨の柳田」とも呼ばれた。

1970年、桑島正美とともに招待選手としてブラジル・インテルラゴスで国際レース「コパ・ブラジル」に出場(優勝者はエマーソン・フィッティパルディ)。1977年には第16回マカオグランプリにマーチ・752で出場している

1980年、1983年富士スーパーシルエットレースのシリーズチャンピオンに輝く。また、ブルーバード、ガゼール、バイオレットなどのマシンでも活躍した。

1990年に日本信販社長(当時)の山田洋二が設立した『チーム・テイクワン』の初代監督を務めた。

2023年7月、セントラル20の社長の座を息子の真孝に譲り、自らは会長に退いた。一方で、日本自動車用品・部品アフターマーケット振興会(NAPAC)のASEA(AUTOSPORT & SPECIAL EQUIPMENT ASSOCIATION)事業部長という肩書もあり、こちらは2024年現在も現職である。

活動歴

  • 1969年 富士100キロロードでデビュー
  • 1972年 富士GC
  • 1978年 富士GC
  • 1983年 富士ロングディスタンスシリーズ Nissan Sunny、Nissan LM03C、
  • 1987年 JTC-II
  • 1988年 JTC-II

レース戦績

FJ1300

全日本F2000選手権

全日本ツーリングカー選手権

世界耐久選手権

出演

  • Car Evolution(MONDO21)

エピソード

  • 2008年のSUPER GT第6戦鈴鹿サーキットでは、レースの2/3を走り終えトップでピットインし、インタビューを受ける真孝の後ろで「あれ!後ろ開いてるよ」とリアカウルが浮いてしまうトラブルに見舞われたマシンを一番に発見した。同じく日産ワークスドライバーである本山哲はこの場面が一番好きと発言していた。

脚注

関連項目

  • 日産自動車のモータースポーツ

外部リンク

  • セントラル20

ニスモフェスティバル 柳田春人氏 2013年その他 (富士スピードウェイ) Photo Gallery モータースポーツフォーラム

〈インタビュー〉日本自動車用品・部品アフターマーケット振興会ASEA事業部長 柳田春人氏|カー用品・補修部品|紙面記事

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