ギヤースッディーン・ピール・アリー(? - 1389年)は、クルト朝の君主(在位:1370年 - 1389年)。

ギヤースッディーン・ピール・アリーはトランスオクシアナ地方に建国されたティムール朝に臣従を誓うが、ティムールが主催したクリルタイに出席せず、1371年に首都ヘラートはティムールの攻撃を受けた。ギヤースッディーンはティムールに降伏し、子のピール・ムハンマドとともにティムール朝の首都サマルカンドに移送される。

1383年にヘラートで大規模な反乱が起きた後、ギヤースッディーンは反乱に関与した嫌疑をかけられて処刑された。

脚注

参考文献

  • 本田実信「カルト朝」『アジア歴史事典』2巻収録(平凡社, 1959年)

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シハーブッディーン・ムハンマド

デリーの中世イスラーム史跡:図面・拓本・地図集成

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