辰馬 半右衛門(たつうま はんえもん、前名・發蔵、1877年(明治10年)8月11日 - 没年不明)は、日本の政治家、酒造家(銘酒・東自慢醸造本舗)、実業家、兵庫県多額納税者、海運業者。

兵庫県武庫郡鳴尾村長。本辰馬商店店主。辰馬商会社長。京都貿易銀行頭取。東辰馬酒造取締役。阪神電気鉄道、日本摂酒各監査役。族籍は兵庫県平民。

経歴

先代・辰馬半右衛門の二男。1892年、家督を相続し、前名・發蔵を改め襲名した。清酒醸造業や、鉱山海運業を営んだ。

1887年、西宮の辰馬家当主辰馬吉左衛門と「有限責任盛航会社」を設立した。

1902年、摂津航業を買収して「辰馬商会」と改称した。

1905年、阪神電気鉄道が開通すると地元の武庫川堤約7千坪を開墾して翌1906年に百花園を開設、日本摂酒監査役に就任した。頭取に就任した京都貿易銀行は「京都通商銀行」と改称、1921年4月休業破産、1930年4月、任意解散が認可された。

人物

日本一の酒屋長者である。

辰馬半右衛門について、『商工資産信用録 第29回』には「職業・雑、調査年月・1927年3月、正身身代・未詳、信用程度・B」とある。

『商工資産信用録 第34回 近畿版』には「職業・地主、調査年月・1932年3月、正身身代・未詳、信用程度・C」とある。

株式界の仕手としても著名であった。真偽のほどは不明だが、当時の株式市況では仕手筋たる「鳴尾辰馬困窮の風説」がしばしば流布された。苦楽園付近にも約50万坪を保有し、「御影土地」の発起人としても登場しており、阪神間の主要な不動産投資家でもあった。

趣味は謡曲。宗教は真宗。

家族・親族

辰馬家

辰馬家は古くより兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に土着し、当主に至るまで15代の旧家である。寛永年間から千石船数十隻を運航し、1885年、辰馬鉱業部を創業して和歌山県東牟婁郡三尾川で銅山を採掘した。1915年、酒造経営が行き詰まったのを機に、小西酒造に商標をはじめ酒造蔵、土地、建物などいっさいを売却、小西酒造は新たに西宮市今津に「本辰酒造株式会社」を設立した。

  • 父・半右衛門
  • 母・まき(1845年 - ?、大阪、岩崎徳右衛門の八女)
  • 妻・清子(1884年 - ?、子爵水野忠款の叔母)
  • 男・(1908年 - ?)
  • 長女・恭子(1901年 - ?、東京、鍋島二郎の妻、あるいは大阪、生駒季子方に入家)
  • 二女・慶子(1902年 - ?、兵庫、辰馬半蔵の長男章蔵の妻)
親戚
  • 廣海惣太郎(肥料商、阪南銀行頭取、岸和田煉瓦綿業社長)
  • 辰馬半蔵(兵庫県多額納税者、酒造家)
  • 水野忠款(子爵)

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治40年』商業興信所、1893-1911年。
  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 『大阪経済雑誌 第15年(2)』大阪経済社、1907年。
  • 大隈重信編『開国五十年史 附録』開国五十年史発行所、1908年。
  • 橋本治策編『関西実業名鑑 明治40年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第18版』交詢社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第29回』商業興信所、1928年。
  • 『商工資産信用録 第34回 近畿版』商業興信所、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『辰馬海運百五十年経営史(海事交通研究 1972年 第8集)』山県記念財団海事交通文化研究所、1972年。

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